東京地方裁判所 昭和47年(ワ)3775号 判決 1976年3月15日
原告 古屋啓二
<ほか三名>
右原告ら訴訟代理人弁護士 岡村親宣
右訴訟復代理人弁護士 小林良明
同 山田裕祥
被告 藤井皐
同 藤井庚申
右被告ら訴訟代理人弁護士 高田利広
同 小海正勝
主文
一 被告両名は各自、原告古屋啓二に対し金六〇二万四四八八円、原告古屋大輔、同古屋朋み、同古屋照章に対し各金三六八万二九九二円、およびこれらに対する昭和四六年七月七日以降支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は三分し、その一を原告ら、その余を被告らの負担とする。
四 この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。但し、被告両名において、各自又は共同して、原告古屋啓二に対し金三〇〇万円、その余の原告らに対し各金一五〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。
事実
第一当事者の申立
一 原告ら
1 被告両名は連帯して
原告古屋啓二に対し九四二万九八〇〇円
原告古屋大輔、同古屋朋み、同古屋照章に対し各五九五万三二〇〇円および右各金員に対し、昭和四六年七月七日以降支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 被告ら
原告らの請求を棄却する。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
原告古屋啓二は、亡古屋秋子(昭和一四年一〇月六日生)の配偶者であり、原告古屋大輔は同人らの長男、同古屋朋みは同人らの長女、同古屋照章は同人らの二男である。
被告両名は、夫婦であり、共同して藤井医院を経営している医師である。
2 事故の発生
(一) 原告啓二と亡秋子は、昭和三八年四月婚姻し、亡秋子は異常出産等の異常分娩は全くなく、昭和三九年四月三日長男大輔を、同四三年四月一三日長女朋みを分娩した。
(二) 亡秋子は、昭和四五年九月原告照章を受胎し、当初明石医院で診察を受けていたが、幼い原告大輔らがいるところから、亡秋子の実母である長谷川光子の居宅の近隣にある被告ら経営の藤井医院で分娩することとし、昭和四六年三月四日被告らとの間で、右出産につき、診療契約を結び、以降被告庚申の診察を受けるようになった。
(三) 亡秋子の出産予定日は、昭和四六年六月一八日であったが、予定日を一七日も経過した同年七月五日になっても陣痛が起こらず、ようやく原告庚申も同日昼頃人工的に陣痛を起こして出産させるため、テリバリンを投与し、その結果、亡秋子は、翌六日午前三時頃には二分間隔位で陣痛が起こるようになり、藤井医院に入院し、同日午前三時一五分頃には自然破水し、同三時五五分原告照章(体重四〇三〇グラム、身長五二センチメートル、胸囲三四・五センチメートル、頭囲三四センチメートル)を無事娩出した。しかしその後出血が続き、同四時二〇分頃胎盤を娩出した直後には堰を切ったように激しい大出血が起こり、右時点において、すでに出血量は一〇〇〇CCをこえ、同日午前六時亡秋子は分娩後の子宮弛緩出血による出血多量(約一八〇〇CC)により死亡した。
3 被告らの責任
(一) 被告らは、医師として相協力して藤井医院を経営し、産婦人科の看板を掲げて、出産のため入院診療行為を行っているのであるから、亡秋子が右出産するについて、異常出産の有無を医学的に解明し、異常出産の場合には、対応した適切妥当な治療を行う義務を負っていたところ、後記(二)項掲記のとおり右義務に違反した。
(二) 亡秋子の場合は、出産予定日を一七日も経過しているのに自然陣痛が起こらず、人工的に陣痛を起こして分娩させたのであるから、通常分娩の場合より異常出産の可能性が大であり、被告らは医師として通常の出産の場合より注意を厳重にし、より適切な処置を講ずべき義務があった。
すなわち、異常出産による死亡は、殆んどの場合出血多量か妊娠中毒症を原因とするものであるが、正常な出産の場合の出血量は二五〇CC位であり、五〇〇CCをこえる出血があれば異常であり、又分娩後弛緩出血の場合には一〇〇〇CCをこえる出血があるのが通常であり、又産婦は全血液量の三分の一の血液を失えば、生命に危険を生じるとされているのであるから、このような場合には、医師としては直ちに採血者の確保、血液銀行への連絡等により輸血液を確保すべき義務がある。ところが、被告らは、亡秋子が午前三時五五分頃に胎児を娩出した直後より、子宮収縮の良否、出血の有無、脈搏数、子宮底の高さ、血圧等に注意し、とりわけ弛緩出血、頸管裂傷等を想定して、とくに出血の有無について注意すべきであったのに、これを怠ったため、右時点ににおいて弛緩出血を発見することができず、さらに、午前四時二〇分頃胎盤を娩出した直後約一〇〇〇CCの出血があったことを認めて弛緩出血を想定しながら、直ちに輸血液の確保をせず、又遅くとも右時点において直ちにリンゲル液、プラズマ等による輸液により失血量を補充する処置をとるべきであったのに、これを怠り、そのため亡秋子を死に至らしめた。
(三) 従って、被告両名は、原告らに対し、民法七〇九条、七一九条、又は四一五条に基づき、その損害を賠償すべき義務がある。
4 損害
(一) 亡秋子の得べかりし利益
亡秋子は、死亡当時三一才の健康な女性であり、生前夫である原告啓二と協力して日本スポーツラインの仕事(スポーツ施設にラインをひく業務)に従事し、仕事の受注、計画等は殆んど同女が行っていたものであるところ、昭和四九年「賃金センサス」によると、三〇才ないし三四才の女子労働者の平均月間給与額は七万八三〇〇円であり、年間賞与その他特別給与額は二五万一四〇〇円となっている。
又、通常の労働に従事しながら婦人の行う家事労働は、少くとも年間平均一二万円と評価するのが妥当であるから、亡秋子の年間収入は計一三一万一〇〇〇円と認められる。
次に、同女の生活費として右収入の二分の一を控除すると、同女の年間純収入は六五万五五〇〇円となる。
同女は、もし本件医療過誤により死亡しなければ、少くとも六七才まで稼働し得たものと考えられるので、その間の同女の得べかりし利益は、次のとおり一三二八万九六〇〇円となる。
655,500円×20.274(36年間のホフマン係数)13,289,600円
(二) 原告らの相続
原告啓二は、亡秋子の配偶者であるから、亡秋子の右得べかりし利益のうち三分の一を、その余の原告らは子供として各九分の二を相続により取得した。
従って、原告らの取得分は次のとおりである。
(1) 原告啓二 四四二万九八〇〇円
(2) その余の原告ら 各二九五万三二〇〇円
(三) 原告らの精神的損害
三人の幼い子を抱え、妻を奪われた原告啓二の悲しみは何に比べようもなく深く、又幼くして母を奪われたその余の原告らの精神的苦痛は、同人らの成長過程をとおして償うことはできない。これらの原告らの精神的苦痛を慰藉するには、少くとも原告啓二については五〇〇万円、その余の原告らについては各三〇〇万円が必要である。
(四) 原告らの損害合計額
(1) 原告啓二 九四二万九八〇〇円
(2) その余の原告ら 各五九五万三二〇〇円
5 結論
よって、被告両名に対し、原告啓二は九四二万九八〇〇円、その余の原告らは各五九五万三二〇〇円およびこれらに対する亡秋子が死亡した翌日である昭和四六年七月七日以降支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する被告らの認否ならびに主張
(請求原因に対する認否)
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の事実中
(一) 同(一)のうち、原告らの婚姻年月は不知、その余は認める。
(二) 同(二)のうち、亡秋子が明石医院で診察を受けたことは不知。診療契約の当事者が被告両名であることは否認する。藤井医院の開設者は被告皐である。その余の事実は認める。
(三) 同(三)のうち、出産予定日が昭和四六年六月一八日であったこと、胎児娩出後出血が続いていたこと、胎盤娩出直後に出血量が一〇〇〇CCをこえていたことは否認するが、その余の事実は認める。
3 同3の事実中
(一) 同(一)(二)のうち、被告らに注意義務違反があったことは争う。すなわち、人工的に陣痛を起こして出産した場合に異常出産の可能性が大とは必ずしも言えないし、被告らが亡秋子の治療のため最善の努力を傾注したことは、後記掲記のとおりである。
(二) 同(三)は争う。
4 同4の事実は否認する。
(被告らの主張)
1 亡秋子の診療経過について
昭和四六年三月四日 藤井医院に外来初診
最終月経 昭和四五年九月一三日から五日間(月経周期三〇日又は三一日)
胎動 昭和四六年一月二〇日から、妊娠悪疽なし。
診察所見 肺、心、上下肢、骨盤等異常なし。
子宮底二〇センチメートル、腹囲八六センチメートル、体重五八・五キログラム診断 妊娠六ヶ月半
分娩予定日 昭和四六年六月二〇日から同月末までと推定する。(なお、荻野式では、七月四日から同月八日頃までと推定され、その旨亡秋子に説明した)
昭和四六年四月一〇日
診察所見 子宮底二八センチメートル、腹囲八九センチメートル、体重五九キログラム、血圧最高一二二、最低三四
診断 骨盤位 妊娠八ヶ月
昭和四六年四月二七日
診察所見 子宮底二八センチメートル、腹囲八九・五センチメートル、体重六〇キログラム、血圧最高一〇九、最低五八
胎位所見 骨盤位、外廻転術により第二頭位となす
診断 術後、第二頭位 妊娠八ヶ月末
昭和四六年五月九日
胎位所見 再び骨盤位、胎児臀部は骨盤入口上に移動す。外廻転術にて正常位にせんとするも不能。
昭和四六年五月一三日
胎児所見 自然に正常頭位にあり
昭和四六年五月三〇日
診察所見 子宮底三〇センチメートル、腹囲九〇センチメートル、体重六三キログラム、血圧最高一一六、最低四八
診断 第二頭位 妊娠九ヶ月末ないし一〇月初
昭和四六年六月一一日
便秘のため腹痛を訴える。
昭和四六年六月一四日
診察所見 子宮底 三三センチメートル、腹囲九三センチメートル
診断 妊娠一〇ヶ月
昭和四六年六月二八日
診察所見 子宮底三三・五センチメートル、腹囲九五センチメートル、体重六五キログラム、血圧最高一一八、最低四二
昭和四六年七月五日
診察所見 子宮底三五センチメートル、腹囲九六センチメートル、体重六六キログラム
診断 第二後頭位 妊娠一〇ヶ月
処方 デリバリン錠一時間毎一錠宛、午後七時から午後一二時まで服用
昭和四六年七月六日
午前二時四五分
午前一時頃から腹痛あり、現在三ないし四分おきに痛むとの電話あり、直ちに入院を指示し、同二時五五分入院。
午前三時一五分
自然破水、分娩室に入る。
午前三時四五分頃
排臨、左側側切開約三センチメートル
午前三時五五分
胎児第二後頭娩出、羊水正常量(約一〇〇〇ミリリットル)
新生児
一度の仮死にて気管カテーテル吸引、倒逆して背中を軽く叩き、マッサージ施行により大声で泣き、以後呼吸平静。
母体所見
出血なく、心身極めて正常。
子宮底、臍高よりやや高し、子宮硬度正常、胎盤娩出を促すため、子宮底部のマッサージと圧迫。
午前四時二〇分すぎ
陣痛あり胎盤誘導
午前四時二五分頃
胎盤正常に娩出完了。出血量やや多し。
下腹部に氷のう装用、子宮底マッサージ施行。
胎盤剥離面完全、ただし羊膜亀裂をその辺縁に沿って認む。
血液流出中等、止血の傾向なし、子宮底の圧迫により半凝固状の血塊を混じた血液二五〇ミリリットル位流出。子宮底は臍高付近に位置し、硬度は捏粉様軟の感に触知す。
弛緩出血を疑い、左記子宮収縮剤の静注ならびに筋注をする。
一〇%ウテロスパン一ml}混静注
二〇%ロジノン二〇ml×二AmP
〇・五%ビタカンフル一ml
ビタミンC 一〇〇mg×二AmP
アトニン〇・五単位一ml筋注
子宮収縮状態を内外診により精査、やや良好、血液の流出減少を認む。この時子宮内血液凝塊を用手除去す。
氷のう装用、子宮底マッサージ継続中、間代性流血あり、腹部大動脈の圧迫を試みたが、患者が圧痛を訴えたので、四、五分で施行中止。
次いで、双合圧迫(内外より子宮をはさむようにして圧迫する)により、子宮マッサージを併用しつつ止血を試みる。効あるも中止すると再流血あり。
二〇%ロジノン二〇ml アドナ一〇ml 〇・五%ビタカン一〇ml アトニン〇・五単位一・〇ml}混合用手点滴静注
〇・五%ビタカンフル一・〇ml×二AmP注射
子宮硬度増加、出血減少傾向あり。
出血量は計八〇〇mlに近いかと思われるので、双合圧迫を中止して、午前五時頃被告庚申の血液(O型)一〇〇ml採血し、一〇%ウテロスパン一〇mlと共に輸血す。
次いで、さらに一〇〇ml採血し、輸血す。
午前五時一五分頃
右給血施行中日赤血液センターにAB型一〇〇〇mlを発注する。
患者の応答堅確、口渇を訴う。氷片入水四口ほど飲む。
子宮を圧迫すると、凝血を混じた血液の流出あり。
右時点までの出血量は一〇〇〇mlをこえたと思われる。
リンゲル氏液五〇〇ml}ボーゼマンカテーテルで子宮内洗す
ヨードチンキ滴加
午前五時半頃
保存血到着、直ちに給血開始。
午前五時四五分頃
突然呼吸不全となる。
呼吸促進剤一・五%テラプチック三・〇ml 二〇ロジノン二〇ml}静注
血圧亢進剤〇・一%ノルアドレナリン一・〇c.c. 二〇%ロジノン二〇c.c.}静注
人工呼吸と心臓マッサージを施行。
午前六時
呼吸、心音全く停止、瞳孔反応消失。
2 デリバリン錠の使用について
デリバリン錠一錠中の組成およびその薬理作用は左のとおりである。
(イ) マレイン酸エルゴメトリン 〇・〇二mg
麦角成分で交感神経末梢に対し刺激的に作用し、子宮収縮、血管収縮、止血的に作用し、かつ毒性は弱い。
(ロ) 塩酸キニーネ二五mg
心臓の自働中枢と刺激伝達系に作用し、不整脉等の心異常刺激に使用される他、マラリアの治療と予防に使用され、さらに子宮口開張期に陣痛促進作用を有し、子宮筋に収縮的に作用する。
(ハ) 塩酸ババベリン一〇mg
子宮頸部に弛緩的に作用する。
右の相乗効果を期待して、分娩を誘発させるのであり、亡秋子については、出産予定日遅延日数の程度、前二回の自然分娩の既往の他、内外診により子宮底三五センチメートル、腹囲九六センチメートル、体重六六キログラム、子宮口三指開大、軟・骨両産道とも分娩に支障のないことを確認し、又胎位も第二後頭位で正常であるため、右剤の使用に適応していると判断した。なお、デリバリン錠が分娩後の弛緩出血を誘発するとの事実は未だ証明されてはいない。
3 弛緩性出血の予見可能性について
胎盤娩出と同時の出血は、正常分娩の場合においても常に認められるものであるから、右時点における出血をもって、直ちに異常出産とし、分娩後の弛緩性出血を確認することは甚だ困難といわなければならない(なお、生体反応が正常範囲から難れて異常状態を呈するに至る過程にある場合、これを予知し予防することは現在なお不可能に近いともいわれている)。弛緩性出血といわれているものは、子宮収縮不全に基づく機械的な止血機能の障害であるが、その原因は、子宮筋腫、遷延分娩、急速産、子宮の過度伸展(多胎、巨大児、羊水過多症)、胎盤早剥、頻産婦等により起こり得るとされてはいるが、未だ明確ではなく、しかも前駆なく発生するものであって到底予見することは不可能である。妊娠中毒症と比較した場合、出血に対しては、発症した時点での救急処置以外になく、中毒症における予防的処置の可能性の大きさに比して出血対策の困難さが強調されるともいわれている。
4 被告らの注意義務懈怠の有無について
前記1において詳述した如く、被告らは、亡秋子の異常出血に対し、子宮収縮剤、血圧上昇剤、呼吸促進剤を注射し、子宮底や心臓をマッサージし、腹部大動脈を圧迫し、人工呼吸を行い、又輸液、輸血をするなど胎盤の娩出から亡秋子の死亡に至る一時間三〇分の間、開業医として可能な限りの処置を行ったのであり、亡秋子の死の結果に対し、被告らには過失を問われる点はなく、又債務不履行責任についても、責に帰すべき事由はないというべきである。
三 抗弁に対する原告の認否
被告らに責に帰すべき事由のあることは、請求原因において述べたとおりである。
第三証拠≪省略≫
理由
一 原告啓二が亡秋子(昭和一四年一〇月六日生)の夫であり、原告大輔(昭和三九年四月三日生)、同朋み(昭和四三年四月一三日生)、同照章(昭和四六年七月六日生)が同人らの子供であること、亡秋子は、昭和四六年七月六日午前三時五五分被告らの経営する藤井医院において照章を出産したが、同日午前六時分娩後の子宮弛緩性出血による出血多量により死亡したことは、いずれも当事者間に争いがない。
二 照章の出産および亡秋子の死亡に至った経過について
≪証拠省略≫によれば、以下の各事実を認めることができる。
被告両名は、夫婦であり、共に医師として藤井医院を共同で経営し(但し診療所の開設者は被告皐名義になっている)、主として被告皐が内科、小児科を、被告庚申が産婦人科を担当していた。
亡秋子は、原告照章を出産するについて、未だ二人の幼児が手のかかる年頃であったため、同女の実家の近所にある藤井医院において分娩することとし、昭和四六年三月四日以降同医院において、被告庚申の診療を受けるようになった。亡秋子は、すでに二児を出産した経験を有していたが、いずれも平均よりは大きい新生児であったものの、正常出産であり、とくに右出産につき異常を生じたことはなかった。
原告照章の出産予定日は、被告庚申の見立てによると、一応昭和四六年六月二〇日ごろから同月末ごろまでの間となっていたのであるが、右期日を経過しても、その兆はみえなかったところ、ようやく同年七月五日正午すぎごろ子宮口が拡大し、胎児が下に下がってきていることが認められたので、被告庚申は、予定日をかなり過ぎている関係からも出産を促進する必要があると判断し、子宮の収縮を促し、子宮口を拡大し、分娩を誘発する効果をもつデリバリン錠六錠(一時間置きに一錠宛服用する)を亡秋子に投与し、同女の右指示のとおりこれを服用した。その結果、同月六日午前一時ごろから陣痛が起こるようになり、午前三時ごろには、被告庚申の指示により、亡秋子は藤井医院に出産のため入院した。藤井医院においては、前記認定のとおり、産科は被告庚申の担当となっていたのであるが、出産に際しては、被告皐も医師であり、又共同経営者として、必ずこれに立会い、被告庚申の介添役を務めることにしており、亡秋子の場合も被告両名が右出産に立会った。
亡秋子は、正常な経過を辿って同年七月六日午前三時五五分ごろ原告照章を無事出産した。原告照章は、体重四〇三〇グラム、身長五二センチメートル、胸囲三四・五センチメートル、頭囲三四センチメートルの平均よりかなり大きい新生児であり、分娩直後一時仮死の状態にあったが、被告らの手当によりすぐ蘇生した。次いで、同日午前四時二五分ごろには胎盤の娩出も完了したのであるが、その際通常の場合よりかなり多い量の出血があり、その後も腹部を上から押さえると、半凝固状の血塊を含んだ血が多量に出、又押えた手を離してもポタポタと持続的に出血が止まらず、子宮も柔軟な状態である上、内診の結果、子宮頸管裂傷等の異常を生じていないことが確かめられたため、被告らは右症状を分娩後の弛緩性出血によるものであると推断し、直ちに被告皐が、子宮収縮剤であるウテロスパン一CCを、ロジノン(ぶどう糖)四〇CC、ビタカンフル一CC、ビタミンC二〇〇CCと混ぜて静脈に注射し、又同じく子宮収縮剤(脳下垂体ホルモン)であるアトニン一CCを大腿部に注射すると共に、氷のうで子宮底部を冷やして子宮の収縮をはかり、被告庚申が子宮を圧迫して出血を止めるため、産道内に片手を入れて子宮を下方から押し上げ、片手で腹部を上から圧迫して子宮の収縮を促がすことに努めたりしたのであるが、一時的には出血が少なくなったようにみえる時もあったが、依然として断続的に出血が続き、一向に止血効果が挙がらなかったため、同日午前五時前頃には、さらに止血剤であるアドレナクローム一〇CCをロジノン二〇CC、アトニン一CC等と混ぜたものと、ビタカンフルをそれぞれ注射した。ところが、そのころすでに亡秋子の顔色は蒼白となってきており、出血の時間的経過や、出血状況を考えると、最早出血量が限界をこえていると考えた被告らは、亡秋子に対し輸血をすることにし、取り敢えずO型である被告庚申の血を、まず一〇〇CC採血して、これを同女に一〇分間位かけて輸血し、次いでさらに同被告から一〇〇CCを採血し、ウテロスパン一CCを混入して同女に輸血をはじめると共に、同日午前五時一五分ごろ日赤血液センターに保存血(AB型)一〇〇〇CCを注文した。そのころの亡秋子の状態は、顔は蒼白であり、口喝を訴え、心音も少し弱っていたが、呼吸は未だ乱れておらず、意識は割合はっきりしていた。
やがて同日午前五時三〇分すぎころ日赤から救急車により、右注文の保存血一〇〇〇CCが到着したので、被告皐は、直ちに交叉試験をした後、亡秋子の右腕に針を刺して輸血をはじめたのであるが、四分位経過し、四〇ないし五〇CC位の輸血がすんだころ、突然亡秋子が身体を右にくねらせて、右手を上にあげたので、輸血針が外れ、同被告が右針を入れて直そうとしたが、すでに出血ショックにより血管が押しつぶされ平らな状態になっていたため、これを果たすことができず、そのうち呼吸もしゃっくり状態を呈するようになったため、急拠同被告が心臓の上をマッサージし、被告庚申がロジノン二〇CCを混入した呼吸促進剤テラプチック三CCと、同じくロジノン二〇CCを混入した血圧上昇剤ノルアドレナリン一CCを静脈に注射したが、効なく、同日午前六時同女は死亡するに至った。
なお、被告両名は、昭和二七年九月以来肩書住所地において開業し、年間五、六件の割合で計一〇〇件位の出産を扱ってきたが、従来被告らが直接手がけた産婦のうち弛緩性出血を起こしたものは亡秋子がはじめてであり、産婦を出血多量で死亡させたこともなかった。
以上の各事実を認めることができる。前掲甲第一〇号証および被告両名の各供述中、出血量や時間の経過に関する詳細な供述部分は、甲第一〇号証が本件事故に極く近接した時点で作成されたもので、供述者である被告庚申自身の署名もされているとはいえ、右書面は亡秋子が死亡した直後の被告庚申の気持も動転していた時期に、事情を聴取にきた警察官に対し供述したものであり、しかも速記録のように供述者の供述をそのまま記録したものではなく、医学には素人である筈の警察官が供述の要旨を記録したものであり、又被告両名の供述も供述自体のうちに食い違いが認められるのであり、当時被告らは亡秋子の出血を止める作業に懸命になっていて、時間を確かめたり、出血量を正確に量ったりする余裕はなかったことをも考えると、右の点についての供述部分には、それほどの信を置くことはできないといわざるを得ず、その他右証拠および≪証拠省略≫中前記認定に反する部分は、前掲各証拠に照らしてたやすく信用できない。
三 被告両名の責任の有無について
≪証拠省略≫によれば、分娩後弛緩性出血とは、胎盤が娩出された後、子宮筋の収退縮が不良のため胎盤剥離部の断裂血管、子宮静脈洞が閉鎖され得ず、短時間の間に五〇〇CCを越す大出血を起こすものであり、その原因は、子宮筋腫、子宮筋の過度の伸展(多胎妊娠、羊水過多症、巨大児など)、胎盤の付着異常、子宮収縮剤の濫用、分娩遷延による母体の疲労等によるとされており、又出産時における出血ショックは、出産総数に比べると発症絶対数は極く少ないと言えるが、妊娠中毒症と共に妊産婦の死亡二大原因となっている。
ところで、一般に正常出産の場合の出血量は、二〇〇ないし三〇〇CC位のものであり、出血量が五〇〇CCをこえるときは異常として注意が必要となり、個人差はあるものの出血量が一〇〇〇CCをこえたときには、ショックにより死に至る可能性も大きくなるので、通常出血量が五〇〇CCをこえたときには、血管を確保するため補液をすると共に、輸血用血液の手配をし、出血量が一〇〇〇CCをこえたときには、直ちに輸血をはじめる必要があるとされていることが認められる。
従って、担当医師としては、患者の出血状況等により可能な限りに早い時点において、子宮弛緩症による出血か否かを判定し、分娩後弛緩性出血であると推断し得たときには、直ちに子宮収縮剤を注射し、又双手圧迫法等により子宮を圧迫して子宮の収縮をはかると共に、補液のためのリンゲル液等や輸血液を準備して、出血量等症状の変化に応じ、補液、輸血を行い、さらに最悪の場合には子宮剔除手術をも考慮すべき義務があるといわなければならない。
そこで、亡秋子の場合について考えるに、亡秋子は、過去の二回の出産には異常な点は全くなかったとはいえ、平均より大きな新生児を生む傾向にあり、ことに原告照章の出産は予定日をかなり過ぎており、現に同原告は体重が四〇〇〇グラムを越す巨大児であったのであるから、担当医である被告らとしては、まず子宮弛緩症の発症について十分注意を払うべきであったというべきところ、被告らは、午前四時二五分ごろ胎盤が娩出した直後ごろには、胎盤娩出の際の出血状況等により子宮弛緩症による出血であると推断したというのであるから、右判断の時点は決して遅きにすぎるということはなく、右の点について被告らに注意義務の懈怠があったとは言い難い。次に、右時点において弛緩性出血を推断した以上、被告らは、前記子宮収縮剤を注射する等子宮の収縮を促がす処置をとると共に、直ちに輸血液を手配し、又状況に応じ輸血までのつなぎとして補液を行い(但し、被告らは、補液は血液を希釈し、止血効果を弱めると考えていたため、前記認定の子宮収縮剤等に混入したロジノン等で十分であると考えていたと供述する)、さらにその後の出血状況、および亡秋子の容態の変化等に注意して、遅きに失しない時点において輸血を開始すべきであったのであり(ちなみに、≪証拠省略≫によっても認められるとおり、少量でも持続性の出血が継続した場合には、一見大した量に達していないかのような印象を受けても、実際は意外な量の出血となっているものである)、前記認定事実によれば、右輸血を開始すべきであった時点は、遅くとも午前五時前ごろには到来していたというべきである。
被告らは、被告庚申の血液がO型であるため、万一の場合には、同被告の血液を採血すればよいと考え、血液の確保については心配していなかったと弁明するが、被告両名の供述によっても認められるとおり、同被告からの採血量も二〇〇CCが限度である上、弛緩性出血の場合の出血量や、輸血をするに当っても、予め交叉試験等の血液適合検査が必要であり、又一〇〇CCの輸血をするためには一〇分間位を要すること、さらに、被告らは過去に血液銀行から保存血を取寄せた経験がないため、当時血液を注文してから到着するまでの所要時間も知らなかったこと等を考えると、被告らは、前記血液の手配を、早目に十分の時間的余裕をもってなすべきであったといわなければならない。
ところが、被告らが血液の手配をしたのは、前記認定のとおり午前五時一五分ごろであり、血液が到着したのは午前五時三〇分すぎであったため、右輸血中に亡秋子は出血ショックを起こし死亡するに至ったのであり、もし被告らが分娩後弛緩性出血と推断した時点において、直ちに血液の手配をしておれば、遅くとも午前五時前には血液が被告方に到着し得た筈であり、前記認定の事実関係からすれば、亡秋子は右血液を輸血されることにより生命を失うことはなかったものと認められる。従って、亡秋子が死亡するに至ったのは、被告らの血液の手配が遅きに失し、輸血の時期が手遅れとなったためといわざるを得ず、この点において被告らには過失があるというべきであり、被告両名は、共同不法行為者として、民法七一九条、七〇九条により、亡秋子の死亡による損害を賠償すべき責任があるといわなければならない。
四 原告らの損害について
1 亡秋子の得べかりし利益
亡秋子は昭和一四年一〇月生れの死亡当時三一才の健康な女性であったから、その平均余命は昭和四六年簡易生命表によれば四六・四一年であり、もし死亡していなければ、少なくとも六七才まで三六年間家事ならびに通常の労働に従事することができたと言い得る。そこで、その間の得べかりし利益を考えるに、成立に争いのない甲第一四号証(労働省統計情報部編昭和四九年賃金構造基本統計調査、以下賃金センサスという)によれば、全産業女子労働者中三〇才ないし三四才の労働者の平均給与額は、月収七万八三〇〇円、年間賞与その他の特別給与額が二五万一四〇〇円、年間収入は計一一九万一〇〇〇円であることが認められるところ、秋子自身の生活に必要な経費として、その二分の一の額を要すると認めるのが相当であるから、これを控除するとその純収入は年間五九万五五〇〇円となるので、これを基本として、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除すれば、向う三六年間の亡秋子の得べかりし利益は一二〇七万三四六四円(円以下切捨、以下同じ)となる。
ところで、原告らは、亡秋子は生前、夫である原告啓二と協力して日本スポーツラインの仕事に従事していたほか、家事をも担当していたので、家事の労働についての逸失利益額を別に認定すべきであると主張する。しかしながら、≪証拠省略≫によれば、亡秋子が右仕事に従事して得ていた収入は、昭和四五年度において年間四四万五〇〇〇円であることが認められるが、同年度の賃金センサスによる三〇才ないし三四才の女子労働者の平均給与額は年五一万円となっており、亡秋子の収入は右賃金センサスによる収入額にも及ばなかったのであって、このような事情を考慮すると、亡秋子の場合には、右仕事の他に、家事に従事していた分についての逸失利益をも評価認定すべきであるとしても、前記賃金センサスによる逸失利益算定額の中に十分右評価がなされていると解されるので、同女の家事労働につき、特別の逸失利益の認定をする必要はないと考える。
2 原告らの相続
原告啓二が亡秋子の夫であり、その余の原告がその子供であることは当事者間に争いがないので、相続人として、原告啓二は三分の一、その余の原告らは各九分の二の割合により、前記亡秋子の得べかりし利益喪失による損害賠償請求権を取得したものであり、右損害賠償の金額を計算すると、原告啓二の四〇二万四四八八円、その余の原告らは各二六八万二九九二円となる。
3 原告らの慰藉料
原告啓二が夫として、その余の原告らは子供として、亡秋子の突然の死亡により甚大な精神的苦痛を被ったことは明らかであり、前記認定の亡秋子が死亡するに至るまでの経過、被告らの過失の態様、その他諸般の事情を考慮すると、右精神的苦痛を慰藉するには、原告啓二は二〇〇万円、その余の原告らは各一〇〇万円が相当であると認められる。
4 被告らの支払うべき損害額
以上の次第であって、被告らは各自、原告啓二に対し六〇二万四四八八円、その余の原告らに対し各三八六万二九九二円、およびこれらに対する不法行為の後の日である昭和四六年七月七日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるといわなければならない。
五 結論
よって、原告らの本訴請求は、前記認定額の限度において理由があるので認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言およびその免脱の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 福富昌昭)